30歳直前で無職になる。

激務にセクハラに社内ニートに何もかもから逃げ果せた今、自分がどうなってしまったのか、どこに向かっているのか、真剣に向き合ってみます。

うっかり「既読」をつけてしまって

友人はいないわけじゃないけど、地元、つまり今住んでいる地域での友人は最近0になった。

 

 

たった1人だけ、小学生の頃から付き合いのある子がいた。

スクールカーストの底辺を、中学卒業まで一緒に戦い抜いた戦友のような子だった。

女同士で会うとなれば、目一杯におしゃれをして、

ショッピングや流行りのカフェをはしごしたりするんだろうか。

私たちは、空いてるファストフード店や穴場のカフェ、新しくできた公園のベンチで、

コーヒーを何杯か飲みながら場所を転々とするだけで、一日中おしゃべりに夢中だった。

 

「配信活動は楽しくできているか」

「祖父母は元気か」

「旦那とはどうだ」

「彼氏はできたのか」

「こんなゲームが楽しい」

「あの子と縁を切りたいけど」

 

 

中学生の頃にうつ病と診断されたその子は、10年以上経った今も重い症状に悩まされている。

働く意志がありながら働けず、周りに置いていかれるようだと焦燥感でいっぱいになっている。

収入は障害者年金と旦那の稼ぎから出るお小遣いだが、年金の3割は親に搾取されている。

「だから出費に気をつかってくれてる?」と聞かれたことがあるけど、そうじゃない。

周りを気にしすぎる必要がなくて、リラックスができて、

笑いたいだけ笑って、嫌なことも正直に嫌って言えて、

そんな私たちに合った場所が、この街ではたまたまそういう所だったっていうだけ。

どれだけお金を使ったが関係の厚さではないんだよ。

 

だから心の底から「友だち」と思っていたのだけど、なんだかしんどくなってきた。

その子との連絡を絶ってみると、地元の外の友人らからよく言われた言葉を思い出すようになった。

「そんな友だち付き合い、やめないと自分が身体を壊すよ」と。

「身体を壊す」なんて大袈裟だとその時は思って話半分に聞いていたけど、

いろんなことが重なりに重なって、家からほとんど出ない生活を送っている。

そのいろんなことの中には、その子に関する悩みも少なからず入っていると思う。

 

 

昔から気になっていた。

「言ってほしい言葉」がある誘導されるような会話や、

その言葉がわかって「違う」と思っても、摩擦を生まないためにその言葉を吐く自分。

「薬増えた」「もう無理」「死にたい」という助けを求める声に、

キャパオーバーを自覚していながら、自分の予定も何もかもすっ飛ばしてしまう自分。

 

 

「そんな付き合いやめろ」と言った友人らは、私よりも先に気づいてたみたいだ。

「よく頑張っている」と褒めてもらいたい。

「こんな人生、早く終わってしまえ」なんて、さっさと口に出したい。

(してあげた、というとなんだか不幸になりそうだけれども)

その子にしてあげたことが、本当は私が望んでいたことだったのかもしれない。

 

なんとも恨めしい。

 

 

 

ある時からその子からの連絡に返事をしなくなるどころか、メッセージを見ることもやめた。

 

ところが、最近うっかり「既読」をつけてしまったことが気がかりでたまらない。

関係修復は望んでおりませんので、どうかこのまま気づかず私のことは忘れてください。

 

 

これで地元の友人は0人となったが、気がかりとは言ったが、少しだけ心が軽くなった。

東京が涼しくなったら、たくさんお土産を持ってみんなに会いに行こう。